大野中学校で開いた「古老に聞く会」で、開拓一世の室田清市さんは、次のような話を聞かせてくださいました。『わしがまだ十代のわかいころ、わたしは小高い丘の上で農作業をしていました。すぐ目前に見える桜島が大音響とともに、まず東の峰が爆発し、半時問、ぐらいあとから西の峰が爆発をおこしました。噴火はずっと続き、かみなりのような地鳴りが絶えまなく続いて、噴煙のためにあたりは夕方のようにうすぐらくなってしまいました。午後になると降灰はさらにひどくなり、垂水の市街地の人びとは津波をおそれて、次々と山手の方に避難して行きました。夕方六時ごろになって大地震の追いうちがあり、倒壊家屋さえ出たほどでした。ほとんどの避難民は夕食も寝具もなく、なんとかありあわせのもので、というありさまでありました。』やっとまにあわせる