当時、室田さんは水之上に住んでいたのですが翌朝、浜の方に出てみたそうです。目の前の桜島は溶岩のために赤く焼けただれ、海面からは激しく水蒸気が立ちのぼって いたということです。あまりの溶岩流出の激しさに、人々は、桜島が埋没してしまうのではないか、と、うわさしあうほどでした。西桜島方面の人々は国分の方に避難したらしいのですが、東桜島の人々は、牛根、海潟あたりに逃げてきました。荒崎海岸には、桜島から逃げようとして力つきた馬の死体が打ちあげられ、海面には無数の小魚類が白い腹を見せて浮いていました。また、東桜島の収入役が税金として、保管してあった多量の銅銭を背負って海を泳ぎ渡ろうとして溺れ死ぬという悲劇もありました。